エムログ

古い映画を中心に、本、仕事・・・etc. 驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】★★ 1944「幻の女」~原作が超傑作ミステリー~

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題名 幻の女 
制作 ジョーン・ハリソン
脚本 バーナード・ショーンフェルド
原作 ウィリアム・アイリッシュ 「幻の女」(1942)
出演 アラン・カーティス、エラ・レインズ、フランチョット・トーン、トーマス・ゴメス
上映時間 83分
制作年 1944年
制作会社 ユニヴァーサル
制作国 アメリ
ジャンル ミステリー、モノクロ
評価 ★★ もう一度くらい見るかも
 

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************* あらすじ ***************
スコット・ヘンダースンは妻と喧嘩し、二人で見に行くはずだったショウにバーで知り合った見ず知らずの女を誘って連れて行く。
ショーの後で女と別れ、帰宅すると妻が殺害されており、すでに刑事が3人、スコットの帰りを待っていた。
妻殺しの容疑がかかるスコットは女にアリバイを証明してもらおうとするが、バーでも劇場でも、乗ったタクシーの運転手も、誰も女を覚えておらず、スコットは逮捕されてしまう。
スコットの窮地を救うべく、愛人のキャロルがバージェス刑事やスコットの親友マーロウとともに捜査を開始する。
キャロルは「幻の女」を見つけ、アリバイを証明し、スコットを救い出すことができるのか。
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原作が超有名な、ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」(1942)の映画化。
原作は映画化に不向きだと私は思っていて、それの映画化だから、たぶんうまくいってはいないだろうと予測。
だから全然期待しないで見た。
 
 
 ※ 本の過去記事はこれ。

mlog1971.hatenablog.jp

 


だけど楽しめないのも嫌だから、できるだけ先入観なく見ようと努力したんだけど・・・(イッカイメハダメダッタ)。
原作が名作の誉れ高く、それに自分の好きな作品というのもあって、ちょっと(だいぶ)色眼鏡で見てしまったかもしれない。


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映画は原作をかなりはしょって、ポイントポイントをつまんで「ぱっぱっぱ」と進んでいく印象をうけた。
映画は83分しかないからなあ・・・仕方がないのかなあ。
 
原作との違いは多々あれど、重要と思われる事柄で言えば、まず女が全く幻じゃない。

原作では、主人公と一緒だった女を誰も覚えていなくて、「いた」と言っているのは主人公だけ。
読者は物語の前半で散々女の話を読んでいるから、いることは分かっている。
なのになぜ目撃者が口をそろえて「女などいなかった」というのか分からなくてすごく興味をそそる。
しかも小説なので、当然読者は読んでるだけで「見て」はいないから「まぼろし感」がハンパない。

でも映画だから、女が「出てきちゃう」からさあ。
女のミステリアスな感じが皆無になっちゃって、予想通り興をそがれる。
 

 
さらに「幻の女」がかぶっている帽子が全然違う。
原作だと、目の覚めるようなオレンジ色の、カボチャみたいな形の奇抜な帽子なんだけど、映画はモノクロ映画とはいえオレンジ色では絶対にない。
そしてカボチャでもない。
原作だと、奇抜な帽子を「見ている」のに「覚えていない」なんていうことがあるんだろうか、という興味をそそるようにもできているのだが、映画だとその要素はまるでない。


劇場でみたショウに出ている踊り子とまったく同じ帽子という設定は原作通り。
でも、あのショウでの「幻の女と踊り子の対決」は、原作だとかなりスリリングで白眉なので、ここがすっぽり省略されてしまっているのは・・・やはり残念。
 
 
そして、スコットがつかまって、愛人のキャロルが捜査に乗り出して、そしてキャロルがバーテンダーを追い詰めていく「あの」くだり。
原作では、「こんな追い詰め方するなんて・・・すげー、こえー」という感じで、ものすごく効果的で印象深いシーンなんだけど、それがやっぱり時間が足りなかったせいか、相当省略されちゃっていて、バーテンの味わったであろう怖さ、心理面がまったく伝わってこなくて、ほんと残念!
 
 
真犯人発覚へのくだりも原作とは相当違うけど、そこはいいや。
もともと原作の方も、最後の方は「もやもや」しちゃっていたので、映画の方の終わり方(進め方)にはあんまり文句はない。
 

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これは原作と比べて、ストーリーはかなり同じだけどジャンルが違うのかなあ。
サスペンスとかミステリーではなく、サイコスリラーとして観るべきなのかもしれないなあ。
サイコスリラーのはしりとして観れば、それなりに楽しめる作品なのかも。
 

私は先に原作を読んじゃっていたから、上手に楽しめなかったのかも。

原作を読まずに、先に映画を観たという方がいたら、この映画をどう思ったか知りたいなあ。

まあ、傑作ではないことは明白なんだけれども。


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主役のアラン・カーティスは、男前だけどちょっと大根かもね。
30代前半の役で、本人も同じくらいの年齢なんだと思うけど、もっと大人に見える。
ひげのせいかなあ。
ひげの部分を手で覆ってみると、うん、幼さの残る30代前半という感じ。
私はひげ事情には詳しくないから、これが「なにひげ」なのかわからないけど、男の人のひげって興味深い。
なんであんなひげの生やし方するんだろか(ヒトラーとか、ありえなくない?)。

原作でとても魅力的な女性だったキャロル役のエラ・レインズは可愛くてよかった。
でも残念ながら、日本で見ることのできる作品は他にはなさそう。
 
 

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あと、どうでもいいことだけれど、友人ジャックの名字が原作と違うんだよなあ。
映画はマーロウ、原作だとロンバート
ロンバートじゃだめなの。どした。何がダメだったのかな(文化的になにかあるんでしょうか)。        
 
 

【映画】★★★★★ 特撮のない傑作SF「ソイレント・グリーン(1973)」

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題名 ソイレント・グリーン
制作 ウォルター・セルツァー
原作 ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』1966
上映時間 97分
制作年 1973年
制作会社 MGM
制作国 アメリ
ジャンル SF、70's
 
 
 
「俺がガキの頃は味があった」
            映画『ソイレント・グリーン』より
 
 
 
*********** あらすじ ***********
 
人類の環境汚染による地球温暖化人口爆発によって、4000万人がひしめき合う2020年のNY。
ほとんどの人間が住む部屋もなくアパートの階段や外で生活している。
食料や水も圧倒的に不足し、政府が配給するクラッカー状の合成食品「ソイレント・レッド」と「ソイレント・イエロー」に頼って暮らしていた。
そして新たに、海底プランクトンで作った動物性の合成食品「ソイレント・グリーン」が配給されはじめる。
殺人課の刑事ソーンは、「ブック(本)」と呼ばれる老人ソルの協力を得て凶悪犯を追う日々。
ある日、高級マンションに暮らす弁護士サイモンソンが殺される。
プロの殺しだと見抜いたソーンはソルと共に捜査に乗り出す。
捜査の結果辿り着いた真相は、全人類の存続を脅かす、驚愕の真実だった。
 
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特撮のないSF映画の大傑作。
 
チャールトン・ヘストンは『猿の惑星』に続き、また人類の真実を知ってしまったのか。
さすがスターは知る秘密の重さ、大きさが違う。
 
・・・なんかチャールトン・ヘストンって、風呂に入ってない感じがする。
もちろんこの作品の役は風呂に入っていない役だと思うけど、ヘストンっていっつも風呂に入っていない感じがする。
ベン・ハーでしょ、猿の惑星でしょ、数日とかじゃない、ずーっと風呂に入っていない感じ。
この映画もそういうところがはまり役。
 
それにしてもヘストンは、年とともに貧相になっていくタイプだったなあ。
若いころは「ミケランジェロのように美しい」と言われたほどのルックスと肉体美だったのに・・・。

年を重ねるごとに豊かに魅力的になっていく人と、逆に貧相になっていく人といるけど、その違いはなんなんだろう。
「自信」や「人生の充実」みたいなことがよく言われるけど、必ずしもそうとはいえない気がするんだなあ。
有名人とかみても、あんなに活躍したあの野球選手とか、あの超人気俳優さんとか、どんどん貧相になっていく。
「自信」とか「充実」が秘訣が本当なら、彼らは私達には見えないところでひどく自信がなく、充実していないってことになるんだが。
 
人生は複雑だなあ。
 
 

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この映画は始まりから終わりまで私好みの、超お気に入りの映画なんだけど、特に好きなのがソルの存在。
この世界ではもはや本は作られておらず、大衆の間ではほとんど知性が崩壊している様子。
本が読めるのは一部の人間のみ。
ソルはその中の一人。本を読み、理解できる数少ない一人だ。
 
十分知的だと思うが、知性が野生のソーンにとって、ソルはアカデミズム的な知性を担当するかけがえのない存在なのだ。
 
残された人々は、過去に出版された本を一か所に集めているようなのだが、そこに陣取っている知性の門番みたいな人たちが、軒並み80歳くらいの老人ばかり。
彼らが大衆の中にある最後の知性なのであれば、もう人類の未来は「一部のエリートの言いなり」決定でしょう。
 
ソーンが出先から持ち帰った本を、「昔は本がたくさんあった」と言いながら、わが子をいつくしむようになでるソルが印象的。
 

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失ったものはもちろん本だけじゃない。
本物の食べ物もだ。
あらゆる天然の食材は、エリートでもめったにお目にかかれない超高級品。
 
いい感じに職権を乱用するソーンが、サイモンソンのところから持ち帰った本物のレタス、本物のリンゴ、本物のセロリ、本物の牛肉を見て小躍りせんばかりに感激ひとしおのソル。
ソルはソーンのために腕を降るって、本物の料理を振る舞う。
その時、いつも使っているプラスチックのナイフとフォークではなく、引き出しにしまってあった本物のナイフとフォークを出してきてソーンに使わせるあたり、深い愛情を感じる。
慈しむ「息子」であり、育てたい「未来」なんだろうな。
 
 
 

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お気に入りをもう一つ。
「面白いなあ」と思って好きなのが、この作品内での「女の取り扱い」。
 
なんと女は「家具」として扱われているこの発想。
個人用と建物用があるらしくて、ヒロイン的な女は殺される富豪サイモンソンの部屋に付属する家具なの。
だからサイモンソンが死んでも何も関係がない。
彼女の所有者は建物の所有者だし、部屋つきの家具だから当然そのままその部屋にいつづける。
まだ新しめ(若い方)だし、次の入居者が気に入ってくれたし。
もう少し年を取るか、気に入られなくなるまでは大丈夫かな。
 
こういうの、怒る女性っていっぱいいるんだろうけど、私は好きだな。
すごく面白いと思った。
だって別によくない? フィクションだし。フィクションは自由な方がいいよ。
 
 

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そしてラストへの導入、ソルの決断。

哀しく美しいシーン。映像もすごく美しいと思う。

映画が始まってからずっと、あえて色彩を抑えているのか全体的に色味が乏しくて、いうなれば「煮物の色」。
別の言い方をすれば「競馬場にいるおじさんの色」。
煮しめたような、薄汚れた、人生の色。

それが一転、色彩豊かに、目の前に美しい地球が広がる。

70年代のフィルムだから画質は荒い。
4Kとか8Kとか言っている今だけど、そういう画素数とかとは全然関係ない。
そういうのとは違うんだ、この美しさは。
フィルム映画には、というよりフィルムそのものに「文学」がある。
 

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この映画のテーマを藤子・F・不二雄の『定年退食』(1973)との類似を指摘して、藤子がパクったみたいに言う向きがあるみたい(映画の原作「人間がいっぱい」が1966年作品だからかな)。

私は子供の頃から藤子・F・不二雄のファンだから、どっちも別々に観て、読んで、知ってる。
盗作だなんて全く思わなかったから、そういう意見があるって知って、ちょっと意外だった。

まあ、人口爆発と食糧不足がテーマだからかもしれないけど、別に「似ている」とは思わなかった。
こういう社会的テーマはみんながトライしていいと思う。
別に誰かの専売特許じゃあないでしょ。

それより私は、同じ藤子・F・不二雄の、『モジャ公』(1969-70)に出てくる、「ジュゲム三番星フェニックス」のエピソードと類似していると思った(もちろんパクリとかそういう意味ではなく)。
不死身の惑星に生きる人々の、最後の決断が似ている。

どちらも10代の私にいろいろと考えさせてくれた、名作なのだった。
 
 
 
 
 ⤵ 藤子・F・不二雄の『定年退食』はこちらに収録されています。
 
子供向けと侮るなかれ。
この『モジャ公』もおすすめ。
藤子・F・不二雄作品の中では地味な扱いを受けているけど、実に深いテーマがちりばめられていて傑作です。
 
 

【本】ダークロマンの人 エドガー・アラン・ポー「黒猫・黄金虫」

黒猫・黄金虫 (新潮文庫)

 
題名 黒猫・黄金虫
出版年 1830年代~1840年
出版国 アメリ
ジャンル 短編集、推理、幻想
 



覚書

推理小説の開祖、かのエドガー・アラン・ポーの短編小説集。幻想小説系&推理小説系が収められている。

 

「黒猫」・・・子供の頃は優しく動物好きの慈悲深い性格だった主人公が、長じてからは酒のために(酒のせいにして?)性格が一変、残虐な性格になってしまう。まずは一番可愛がっていた黒猫を木につるし、罪悪感から飼い始めた別の黒猫を斧で殺そうとして誤って妻を殺し、その妻を壁に塗り込めて隠蔽するが、警官隊がやってきた時不思議な心理状態に置かれてベラベラと余計なことを口走り、そこへ壁の中から奇妙な声がし始めて警官隊が壁を崩すと、壁に塗り込められた妻の死体の頭の上に、主人公が死体と一緒に塗り込めた黒猫が目を光らせて座っていた、という話。

 

「アッシャー家の崩壊」・・・呪われた家系もの。古い由緒ある家系で、呪われた一族アッシャー家の最後の生き残りであるロデリック・アッシャーの元を、主人公である友人(私)が訪ねて数夜を共にする。ロデリックはすっかり死にとりつかれており、やはり病んでいる妹のマデリン嬢が死亡したために柩に入れて放置するが実はまだ死亡してはおらず、どうにか柩から出てきたマデリン嬢が血だらけで現れ断末魔の叫びととともに絶命する。思わず屋敷から逃げ出す主人公の背後で、満月の凄まじい月明かりの中アッシャー家の大きな屋敷が崩れ、跡形もなく沼に飲み込まれてしまう。

 

ウィリアム・ウィルソン」・・・二重人格もののはしりか。主人公は金持ちの子息で、傲慢で我が儘な悪い性質の持ち主であるが、同姓同名で誕生日までが一緒の同級生がおり、その自分そっくりのもう一人のウィリアムが自分を嘲笑っているかのように思われて子供の頃から頭を悩まされていた。オックスフォードの学生となった主人公の邪悪さはあからさまとなりつつあったが、そこへもう一人のウィリアムが現れ主人公の悪行を暴露する。その時もう一人のウィリアムは、実は自分自身であったことを自覚する。

 

「メールストロムの旋禍」・・・「私」が「老人」から彼の恐怖体験を聞く。彼は、自分の頭が真っ白で老人に見えるだろうが実は決してそうではなく、ある恐ろしい出来事に見舞われたために一夜にして総白髪となってしまったと語る。その出来事とは、兄とともに船で海へ出た際、巨大な大旋禍(メールシュトローム)に見舞われたことであった。命からがら自分は助かった、その出来事を語る。

 

「黄金虫」・・・暗号解読物の草分け的作品。語り手の友人ルグラン君は、ある日黄金色に輝く虫を手に入れる。その虫の背中には黒い模様が書いてあり、さらに別のところで手に入れた羊皮紙は、偶然熱にさらされたために文字が現れてくる。この暗号と黄金虫がキャプテン・キッドの財宝のありかを示すものであると気づいたルグラン君は、語り手と黒人の召使ジュピターを伴い財宝を探し当て、そこに至った推理を明かすのであった。

 

 

【映画】ジュヌヴィエーブにも光はさすかな?「泣きぬれた天使(1942)」

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題名 泣きぬれた天使
監督 アンドレ・ベルトミュー
出演 ジャン=ルイ・バローミシェール・アルファ、アンリ・ヴィダル
上映時間 87分
制作年 1942年
制作国 フランス
ジャンル メロドラマ、40's



「耐えるのよ じっと耐えるの 世界が暗闇でも あなたの世界はきっと明るくなるわ 心の奥で夜が明け 光がさす あなたの光は 誰の光よりも まばゆく輝く 必ず光が見えるわ 私たちに必要なのは 光と喜びよ 暗闇は消えるわ」 
               映画「泣きぬれた天使」より
 

 

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うーん。モラルに囚われた、可哀想な女の子の話なのかな? 
やっぱりメロドラマは性にあわないなあ。

若く貧しく孤独な娘ジュヌヴィエーブは、逞しい青年ボブと恋に落ちるが、戦争が始まりボブは戦場へ行ってしまう。やがて戦争も終わり男たちが戦場から戻ってくるがボブは戻ってこず、手紙一つこない。学生仲間のひとり、彫刻家でリーダー格の男ジャックが戦場から戻ってくるが、ジャックは怪我で盲目となっていた。

ヤケになるジャックを励ましているうちに、二人はお互い支え合うようになる。彼女の献身に支えられ、創作への意欲を取り戻したジャックは、心優しいジュヌヴィエーブを愛し依存するようになる。しかし心の中ではボブを忘れたわけではないジュヌヴィエーブ。下宿屋の主人にその迷いを打ち明ける。「ジャックといると心が落ち着くわ。でもボブに見つめられると胸がときめくの」。主人は「ジャックとの関係が本当の愛だ」と諭す。

「盲目の彫刻家」としてデビューを果たしたジャックはジュヌヴィエーブに結婚を申し込む。ジャックにとってジュヌヴィエーブの存在はなくてはならないものとなっている。そんななかボブが戦争から帰ってくる。彼は戦争捕虜となり、手紙をかけなかったのだ。ジュヌヴィエーブを忘れたことはなかったと迫るボブ。揺れるジュヌヴィエーブ。最後は盲目の彫刻家ジャックを選択するジュヌヴィエーブであった。

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・・・うーん。ここはボブでしょ。どう見てもジュヌヴィエーブはジャックに恋してないもん。ただ「役にたっているだけ」だもん。それはそれで存在意義があるかもしれないけど愛じゃないよー。ここは衝動的にボブと寄りを戻してジャックを捨てて欲しかった! 見た目もボブの方が逞しくて頼りがいがあるし。不幸好きな女なのか? 

・・・まあ、全編を通じて、ジュヌヴィエーブはすごく真っ当。真っ当すぎて、選択を誤った感じか。不幸な方がやり甲斐があるような気がしてしまうというのは分からなくないし。

でもそれは間違っているんだと思う。幸せになって、そしてやり甲斐を感じるのが正解なんだと思う(私は程遠いけど)。

ジャックなあ。最初、元カノが忘れられないジャックは、「優しく礼儀のある女性がいい! 若くて無垢で・・・シモーヌ(元カノ)は理想の女だった 気品高く、そして・・・」とか言っちゃって、混乱しすぎ。あなたの元カノ、全然そういうタイプじゃないですよね。すごく高慢ちき。あなたが言っている「優しく礼儀ある」はジュヌヴィエーブの方でしょ。私、ジャック無理だなあ。

しかし下宿のオヤジ、ほんとろくなこと言わない。良いこと言ってる風になってるけど、「盲目になって暗闇のジャック」と「恋人を失ったと思って暗闇にいるジュヌヴィエーブ」の暗闇コンビがくっついたって、幸せになれるわけなんか、ない。ジュヌヴィエーブはちゃんと分かってたのになあ。つまらんことを言いよってからに。

だいぶ納得できない私なのだった。 

 

【映画】ドキュメンタリー映画の幕開け「極北の怪異(極北のナヌーク)(1922)」

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題名 極北の怪異 (極北のナヌーク)
監督 ロバート・フラハティ
上映時間 78分
制作年 1922年
制作国 アメリ
ジャンル ドキュメンタリー、モノクロ、サイレント、20's

 

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怠けたら死ぬ世界。生きるってすごい。


これはドキュメンタリー映画の先駆けとなった作品。

今からちょうど100年前の1919年、カナダ極北の地、ハドソン湾の右岸ウンガヴァに住むエスキモー(イヌイット)の一家族、ナヌーク一家を一年かけて取材したもので、当時、英国ほどの広さの土地に、3000人ほどのエスキモーが住んでいたらしい。

30代くらいなのかなあ。撮影の対象は部族長で狩りの名手ナヌークとその妻ニラ、そして3人の子供達と犬。

映画冒頭がとても微笑ましくてなごむ。ナヌークが漕ぐ一人乗りのカヤックに、子供が一人うつ伏せに乗ってるなーと思いきや、カヤックの中から妻のニラ、ニラがおぶった乳飲み子、長女、犬が次々と現れるのには笑った。掴みはオッケーというところ。出てきたニラと娘が楽しそう。

 

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ナヌークたちは狩りで得た獲物、狐10頭くらいとセイウチ、7頭の北極熊の毛皮を白人の交易商のところに持っていく。100年前のフィルムで見ても、狐の毛皮がすごく上等なのが分かる。真っ白でフッサフサ。ナヌークたちは蓄音機で音楽を聞かせてもらって、子供たちはお菓子をもらう。物々交換みたいだけど、これだけの品物と交換するのがナイフとビーズとキャンディって、ちょっとぼったくりすぎなんじゃない? 中間字幕でも「交易所の品物は高価だ」って出るけど高価すぎるのでは。ぼろ儲けですな。

 

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彼らの生活はシンプルそのもの。見える景色は、草木一本生えていないどころか、一面銀世界。雪と氷と海と空しかない。交易所のシーンは草一面だが、たぶん交易所のあるところがそうなだけで、彼らがそこに住んでいるわけではなさそう。

彼らの毎日は、まさに”今”食べる獲物を探すことに全精力が注がれている様子。食料を求めて極寒の氷原を放浪し、魚を銛でつき、セイウチやアザラシ、狐を狩る毎日。捕まえた獲物は持ち帰らずにその場で解体。丁寧に皮を剥ぎ、生肉に食らいつく。「食べる」というより「喰う」という感じか。解体に使ったナイフを、嬉しそうに舌で何度も舐めるナヌークが生々しい。

食べる物は肉と魚だけなのかな。魚を食べるシーンはないが、捕まえるシーンはあるから食べてるんだろうと思うが、それ以外のものを食べるシーンはない(交易所のお菓子のシーンは別)。しかも生肉で。火をたくシーンは何度かでてくるが、雪を溶かして水を作っているだけのようだ。

釣りのシーン。魚を捕まえる時は氷の上に横になり、ルアーのようなものを動かして魚をおびき出し、銛で突く。取れるのは立派な鮭。

狩りのシーン。狐は生け捕り(超かわいい。毛皮にされるけど)。

セイウチは数人がかり。

海に潜ったアザラシは、20分に一度空気を吸いに浮かんでくるところを捕まえるのだが、分厚い氷に小さな穴が開いていて、どうやらその穴めがけて空気を吸いに来るらしい。誰が開けたの。アザラシ?ナヌーク? いずれにしても、その穴に銛を構えて根気強く待つナヌーク。空気を吸いにやってきたアザラシに、小さな穴から銛を突き立て見事にゲット。銛に付いていたロープだけを頼りにアザラシが弱るまでたった一人で綱引きが続く。家族に合図を送って、やっと助けが来る。ロープは家族に預けて、ナヌークは氷を割って大きな穴を作り、そこからアザラシを引き上げるのだが、そのでかいこと。象かと思ったよ(そこまで大きくはないか)。で、さっそく解体して生のまま食す、と。うわー (゜-゜)。ワイルド。

 

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もちろん犬にも肉を与えるのだが、まず自分たちが食べ終わるまで犬たちには与えていない。犬と言っても、私たちが知っているような愛玩犬では全くなくて、飢えて、牙をむき出して唸っているような、野生むき出しの犬。超恐いの。でも犬たちも、ギラギラと牙をむき出しながらも「待ってる」。そしてようやく肉にありつけるんだけど、一斉にアザラシに飛び掛かってガツガツと喰らいつく・・・とかではなく、ナヌークが一匹一匹に刻んだ肉を与えている。

「すげー。管理してるって感じ。そして徹底している」と思った。

うーん。考えさせられる。誰が主人なのか分からせてるんだなあ。

エスキモーにとっての生活はそれこそ「命がけ」だし、そんな厳しい自然環境の中で生き抜くエスキモーにとって犬はペットではなく労働力だから、こういった厳しい主従関係を築くのは、当然のことだろうと思う。

でも犬を畜生として見下して扱っているかといえばそうでもなくて、子犬を自分たちの子供と同じように扱っている。
まあ、飢えた親犬に食べられるらしくて、それでは橇を引いてくれる労働力がなくなる。だから守って育てるのは当然なのかもしれない。
でも家の中(イグルーの中)では寒くないように部屋の隅に穴を掘ってちょっとした犬小屋みたいなのを作り、ゴザみたいなのを敷いてあげて、しかも保温効果を狙ってのことだと思うが雪の壁で囲ってあげてって、ただの「自分の財産だから」以上の愛情を感じた。犬を愛玩として飼っている現代人がどうのこうのと言える関係ではないと感じる。


住まいは使い捨て(拠点となる家があるのかは、映画では分からなかった)。
雪をブロック状に切って積んで作るイグルーと呼ばれる住居に住んでいるのだが、これをセイウチの牙で作ったナイフ一本だけで、しかも小一時間でできる。人間って、天才。
さらに15cmくらいの厚さに切り取った氷をイグルーの壁面にはめ込み、明かり取りの窓にするアイディア。太陽光を室内へ取り込めるように、窓のすぐ脇に雪の壁を立てて光を反射させる念の入れよう。これにはまいった。
さらに驚いたのは、氷点下の暮らしなのに寝るときは上半身裸になるのね。毛皮を布団のようにかけるとはいえ、裸で寝るとは驚いた。

 

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ところで、特にニラを見て思う。絶対に日本人と親戚だよね。
絶対に同じ祖先を持っていると思う。インディオと同じ、日本人の遠い遠い親戚。


彼女のキャプションが「微笑みの女」と出るけど、本当に純粋な笑顔。誰かを騙して自分だけ得しようと思ってる人間がいるなんて、夢にも思ったことが無いような笑顔。可愛い。きれい。


この映画を観ると考えさせられるのは・・・そう、彼らは幸せそうなのだ。

この撮影の2年後にナヌークは飢えで死んだとあるように、現代人とは全く違う種類の、過酷な人生だ。
でも彼らは無邪気で邪心のカケラもなさそうな笑顔で、何の不満も不安もなさそうだし、この運命を、自分の人生を、誰のせいにもしなさそう。

この曇りのない笑顔は、今日と明日のことくらいまでしか考えない、今この瞬間を生き抜くことだけに全精力を傾けているから出来るのかなあ。


私は別に、こういう生活に憧れたりするわけじゃない。

でも、5年後10年後のこと、老後のこと、老後の孤独と生活の不安などをあれこれと考え、「今から準備しとかなくちゃいけないんだろうなあ」って思って今この瞬間を全然楽しめなくている私は、ナヌークやニラの笑顔と、家族全員一丸となって今日の糧を全力で探す日々が羨ましい気持ちになる。

そして悲しくなり、ちょっとだけ考えてしまうのだった。

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【本】むしろこちらを飾りたい「アーブル美術館 大贋作展」

 
題名 アーブル美術館 大贋作展
作者 アーブル美術館
出版社 ユナイテッドヴァガボン
出版年 2015年
出版国 日本
ジャンル 美術
 
 
 
ひょんなことで手に入れた、アーブル美術館展のカタログ(でいいのかな)。画集なのかな。
 
もう一目ぼれでした。
 
2015年に開催されたらしいのですが、私は情報弱者なので知らなくて・・・知っていたらなあ。ぜひ行きたかったなあ。
 
どうやら、お母さん(アーブルさん)と子ども二人の三人組によるアート制作集団らしいです。
 
お母さん指導の元、二人の子供たちが世界の名画を模写して、「贋作」として発表しているんだけど、この出来が目を見張るほど素晴らしいのです。
 
もし知らなない人がいたら、「ぜひ知ってもらいたい!」と、強く思う。
 
「贋作」って言っちゃうあたりもユーモアがあるし、知的。皮肉すら感じれらる。お母さん自分で言ってて「にやっ」みたいな。
 
とにかく理屈はいらない。見てもらえればその素晴らしさがすぐに分かる。
 
きっと、嬉しい気持ち、楽しい気持ち、わくわくする気持ちになること請け合いです。
この作品集でとりあげられている絵画たちは、ライトな美術ファンでも「知ってる!」「見たことある!」となるであろう、有名な作品ばかり。中学や高校の美術の教科書に必ず載っているような、初心者でも安心のチョイスです。
 
そして・・・もう笑っちゃうくらい味わい深い。にやにやする。
 
なんか、ずっと見ていると本物がどんなんだったか分からなくなってきて、「元々これ・・・なんじゃない?」と思っちゃう。
 
キャンバスも、段ボールとかお米の袋とかを使用しているそうで、その凸凹感もぬくもりがある。
 
そして、カタログの最後に載っている、各贋作に関するアーブルさんの解説がまた興味深い。制作の背景や想いを、短く、だけど丁寧に綴っているのですが、親と子の関係や子供の教育といったものさえ考えさせられる、すばらしい名文です。
 
どこかの美術展とかに行って、名画のレプリカを買って部屋に飾るくらいなら、私はこちらをもう一冊購入して、バラして額に入れて飾りたい。これを飾りたいよー。
 
もう一冊買うか。でも額がいい大きさのがあるかな。
 
すでに中古でしか手に入らないから、金額はややお高いですが(現在4000円~1万円くらい)、その価値があると思うなあ。
 
クラシックCDのジャケ写とか、カレンダーが毎年出ているみたいなので、魅力を伝えるためにいくつかリンクを貼っておきます。
 
ぜひ、みなさんもアーブル美術館のとりこになって頂きたいです。
 
きっと、このわくわく、にやにやを誰かに伝えたくなると思いますよー。


 【補足】アーブルさんは「アーブル美術館の、ひ・み・つ」というブログをやっていて、活動報告を随時おこなっているみたい。そちらもおすすめです。
 
 

【映画】1mmも撮影していないドキュメンタリー映画 「アトミック・カフェ(1982)」

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監督 ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ
上映時間 87分
制作年 1982年
制作国 アメリ
ジャンル ドキュメンタリー、戦争、80's
 
 

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第二次世界大戦時における原爆や戦争に関する事実を、いたってクールな視点で発信した、ブラック・ユーモア炸裂の反戦映画。
 
この映画のために撮影されたフィルムは1mmもなくて、過去の既出のニュース映像とかプロパガンダ映像とかラジオ音声などの記録映像を集めに集めて編集しただけ。映像だけでなく、流れる音楽も既出の商業音楽。そしてナレーションが一切ないのも特徴。すでに世の中に発表されている映像や音声を時系列に淡々と並べただけという、異色の映画。
 
この映画がマイケル・ムーアにすごく影響を与えて、自分がドキュメンタリー映画を作る際の参考にした、という有名なエピソードもある。
 
 
プロパガンダ映像ってなんだ」ということになれば、日本でいえば「ダメ。ゼッタイ。」とか「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」系もそうだし、TVのニュース番組とか情報番組だってそう。教習所や免許の更新の時に見させられる教育フィルムもそうだし、自衛隊自衛官募集ポスターなんかもそう。健康ブームだって、健康プロパガンダだと言える。要は、大きな組織(政府とか企業とか宗教団体とか)が、ある思想や目的に大衆を導こうとして制作された宣伝物は全部プロパガンダ。影響力のある人や組織って、日々私達を、その組織にとって都合のいい方へ導こうとしているわけだ。
 
そして大抵、ドキュメンタリーの方も、記録映画と言いながらも、「これを伝えたい!」という強い意志を持って作られた「創作物」になることが圧倒的に多く、ややもすると押し付けがましく、説教臭くなりがち。
 
結局みんな、「意見を強く主張して、賛同して欲しい!」あるいは「都合よく言うことを聞かせたい!」ってやっているわけだけど、この映画はその熱さが上手く隠されている。淡々と並べて、ぽんって私達に放り投げて、「どう?」くらいな感じ。
 
もちろん、沢山ある映像のなかからどの映像を使用するかという選択、選択されたフィルムのどの部分を使用するかという選択、音声と映像の組み合わせ、選択された映像をどういう順番で並べるかという選択を、この映画の監督はしているわけだから、そこにこの監督のメッセージが込められている。だからこの作品だって、プロパガンダ映画だ。だけど、「制作者の思想が前面に出すぎてこないところが好感が持てるな」って思う。
 

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映画が始まってしばらくは、トリニティ核実験からエノラゲイリトルボーイとファットマン、原爆投下が上手くいってほくほく顔のトルーマン大統領、そして戦勝パレードへと続くが、そういうのはまあいい。戦争していれば勝ったら嬉しいのは当たり前。日本が勝っていたら日本だって戦勝パレードをしたわけだから。問題はここから。



「(原爆は)安全に距離をとってながめるとこの爆発は人類史上最高に美しいものだ。諸君もきっとこう言うだろう。
『なんて美しい・・・どこが危険なんだ?』 
注意してほしいのは3つだけだ。爆発、熱、放射能
放射能、これだけが目新しいもので、核兵器の使用で生じる。だがじつは3つの中では一番どうでもいいものだ」
          映画『アトミック・カフェ』より引用


広島、長崎の被害をアメリカ国民には何も知らせず、ビキニ諸島の住民にはちゃんとした説明もせずに避難させて彼らの島を吹っ飛ばし、キャッスル・ブラボー実験では風に乗った放射能がいくつもの小さな島に住む人たちと、第五福竜丸の乗組員を被爆させ、「一か月もすれば症状は消える」と言ってのける。

この映画を観ると、原爆の被害者はヒロシマナガサキの日本人だけではなく、世界中に大勢いることが分かる。アメリカの核実験で上手いこと言われて騙されて実験台にさせられている米兵や諸島の住民などの姿は、ヒロシマナガサキの悲劇とは別種の悲しさがある。政府は、自国の大義のためには自国の国民すらも欺き、犠牲にするのだ。それもジョークやユーモアを交えながら。戦争で敵に落とされた爆弾で被ばくするのと、自分の政府に騙されて被ばくするのと、どっちがマシかな? どっちも結局は政府に騙されている点では同じかな。

 

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「せっせと稼いでも 全部 税金と請求書に消える
おれの悩みの解決法を見つけたんだってな 
やった やった 水素爆弾だ えーい 落としちまえ 
やった やった 水素爆弾だ 神さま おれだけは助けて」
          映画『アトミック・カフェ』より引用
 
 
 
この映画を観ると、原爆や戦争という、人の人生や生き死にを決定付ける重大かつ異常な事態なのに、アメリカ人たちの軽さ、明るさ全開で、その対比が両極端で興味深い。深刻さまるでなし。使用されている大衆ソングの歌詞の内容と曲のキャッチーさのギャップも凄い。
 
すぐに深刻になりがちな日本人に対して、いわゆるアメリカン・ポップっていうのかなあ。奴らは思想もポップですからね、原子爆弾にあだ名をつける的な。戦争に使う戦闘機にバーガ・ガールを描いちゃう的な。撃墜マークを書いちゃう的な。日本に落とす原子爆弾ファットマンに「ヒロヒト天皇に愛を込めて」って書いちゃう的な。クリスマスには戦争もお休みしちゃう的な、およそ日本人の感覚にはないスポーツ感覚。戦争はね、スポーツなんですよ、ヤンキーにとっては。
 
日本人なんて、兵器は天皇からお預かりしたものだから粗末に扱うなんてもってのほか、落書きなんてあり得ませんでしたからね。営倉行きですよ。
 
まあ、日本人のすぐ深刻になってしまう真面目さは、そのまま余裕のなさですからね。アメリカのユーモア感覚から学ぶところはたくさんあります。ちょっとは参考にして、もっと余裕を持った方がいいと思う。思うけど、本家のアメリカ人のポップさは・・・ムカつきますね。
 

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監督はこの映画をフランシス・フォード・コッポラに見せて相談したところ、「分かりづらいからナレーションを入れた方がいい」とアドバイスされて、無視した、という経緯があるというのを何かで読んだ(ソース不明)。これは入れなくて正解。説明とか解説はいらない。そういう意図的なミスリードがあからさまでないところが、この映画の価値を上げていると思う。監督、正解です。
 


今回リンクを貼ろうとしたら、もう中古でしか取り扱いがない。( ゚Д゚)
なぜだ!
なぜ私が紹介したい作品はすぐに絶版になるんだ!
こういう作品は販売し続けてほしいのに・・・(T_T)